2009年09月27日
謡講 30会記念公演
昨日は前にもご案内した謡講に行ってきました。
今回は30回記念の特別バージョンでした。一部と二部があるのですが、二部は比較的人数も少ないのでいつも二部に行きます。
5時少し前に会場の平安女学院・有栖館に付きました。入り口にはもう15名ぐらいの方がお待ちでした。建物の中からは鼓の音が聞こえます。一部がちょっと伸びているようです。
しばらくすると今回お誘いした方もお見えになってしばし歓談。そうこうする内に一部が終わって皆さん出てこられたので、入れ替わりに建物に入らせていただきました。
今回の楽しみの一つがこの有栖館。始まる前に管理をされている方からお話がありました。それによりますと、もともと御所の中にあった有栖川宮の御殿の一部が明治維新後現在の場所に移築され、その北側に別棟が増築され、近年まで京都地方裁判所所長の官舎として使われていたのを平安女学校が買い取ったそうです。烏丸通に面した門は平唐門で、元は三井家の総長三井高保氏が1912年に新築、その後現在の地に移築された物。また建物内部の座敷は簡素な作りながら部材は吟味した物を使われているそうです。庭もずいぶん荒れていたものを小川治兵衛が当時の様子を考えながら復元された物だそうです。
さて謡講ですが、そんな素敵な建物の中で、例のとおり照明を落とし、蝋燭の明かりのみ、まだ外は薄暗がりの中、まずは謡講形式の「俊寛」が始まります。物語が進むうち、クライマックスにくると、目の前に舞台の様子がまざまざと見えてきます。井上先生と社中の皆さんの息のあった謡は他では味わえない趣があります。
この後便用謡、替謡、独吟のあと、外はもう真っ暗な中、敷舞台を使った井筒の座敷囃子がはじまりました。正面に井筒の作り物が置かれ、舞台の後ろ障子の向こうから地謡と小鼓の演奏が始まり、奥から装束と着けたシテが現れました。舞台の上にはシテ以外見えず、それがまたなんともいえない風情があって、贅沢な時間を過ごさせていただきました。江戸時代には宮中や公家の屋敷ではこんな風に能が上演されていて、やんごとなき方々が楽しんでおられたのかと思うと、不思議な感じでした。
終わって外を見ると空には半月が煌々と輝いていました。
所で、今日知り合いのチェリストとお話しする機会がありましたが、チェロを弾くときも指盤をついつい見てしまうが、実は目をつぶって演奏するとぜんぜん音が違って響くそうです。謡講も目に頼らず、聴覚だけに訴える事は意味があるのかもしれませんね。
今回は30回記念の特別バージョンでした。一部と二部があるのですが、二部は比較的人数も少ないのでいつも二部に行きます。
5時少し前に会場の平安女学院・有栖館に付きました。入り口にはもう15名ぐらいの方がお待ちでした。建物の中からは鼓の音が聞こえます。一部がちょっと伸びているようです。
しばらくすると今回お誘いした方もお見えになってしばし歓談。そうこうする内に一部が終わって皆さん出てこられたので、入れ替わりに建物に入らせていただきました。
今回の楽しみの一つがこの有栖館。始まる前に管理をされている方からお話がありました。それによりますと、もともと御所の中にあった有栖川宮の御殿の一部が明治維新後現在の場所に移築され、その北側に別棟が増築され、近年まで京都地方裁判所所長の官舎として使われていたのを平安女学校が買い取ったそうです。烏丸通に面した門は平唐門で、元は三井家の総長三井高保氏が1912年に新築、その後現在の地に移築された物。また建物内部の座敷は簡素な作りながら部材は吟味した物を使われているそうです。庭もずいぶん荒れていたものを小川治兵衛が当時の様子を考えながら復元された物だそうです。
さて謡講ですが、そんな素敵な建物の中で、例のとおり照明を落とし、蝋燭の明かりのみ、まだ外は薄暗がりの中、まずは謡講形式の「俊寛」が始まります。物語が進むうち、クライマックスにくると、目の前に舞台の様子がまざまざと見えてきます。井上先生と社中の皆さんの息のあった謡は他では味わえない趣があります。
この後便用謡、替謡、独吟のあと、外はもう真っ暗な中、敷舞台を使った井筒の座敷囃子がはじまりました。正面に井筒の作り物が置かれ、舞台の後ろ障子の向こうから地謡と小鼓の演奏が始まり、奥から装束と着けたシテが現れました。舞台の上にはシテ以外見えず、それがまたなんともいえない風情があって、贅沢な時間を過ごさせていただきました。江戸時代には宮中や公家の屋敷ではこんな風に能が上演されていて、やんごとなき方々が楽しんでおられたのかと思うと、不思議な感じでした。
終わって外を見ると空には半月が煌々と輝いていました。
所で、今日知り合いのチェリストとお話しする機会がありましたが、チェロを弾くときも指盤をついつい見てしまうが、実は目をつぶって演奏するとぜんぜん音が違って響くそうです。謡講も目に頼らず、聴覚だけに訴える事は意味があるのかもしれませんね。