2006年09月04日
謡講へのお誘い
父親の影響で小学生の頃から謡のお稽古に行かされ。でも、なぜか不思議とイヤではありませんでした。中学生の頃はクラブなどでお稽古はお休みしましたが、代わりに能楽堂へはせっせと足を運んでいました。20歳からは、改めて謡のお稽古をはじめました。その後結婚子育て中も休みながらも続けてきましたが、今ごろやっと謡の良さが少し分かってきた気がします。そんな時にはじまったのが「謡講」の催し。町家の座敷、薄暗い中、衝立、屏風の向こうから、時にはろうろうと、時には切々とうたわれる謡、暗いからこそ研ぎ澄まされる聴覚。視覚に頼らないからこそ出来る無限の表現。
今回は20回記念の会で、一部が「砧」二部か「道成寺」どちらも人気のある、しかし難曲中の難曲。いまからわくわくしています。
今回は20回記念の会で、一部が「砧」二部か「道成寺」どちらも人気のある、しかし難曲中の難曲。いまからわくわくしています。
Posted by 山名騒然
at 19:27
│Comments(7)
いつの間にブログを、、、、、!
次回の謡講、楽しみにしております。
お能は何回か見たことがありますが
この「謡」というのは聞いたことがないので
いつかお邪魔してみたいです。
町谷のお座敷で何ともいえない雰囲気ですね。
えーー、ブログ言っていませんでした。すいません<m(__)m>
こちらこそ、ご一緒出来てうれしいです。
☆ぱすてるさん
お能はいかがですか。
人はいろいろ言いますが、正直言って取っ付きがいい物ではありません。その為敬遠する人も決して少なくないです。謡は能の台本を朗読形式でうたうものですが、また能とは別のおもむきがあります。少し前に「声を出して読む日本語」と言う本が話題になりましたが、それを昔から続けているのが謡だと思います。もしよかったらぜひ行って見てください。
なるほど、小さな頃から謡をなさってたのですねえ。
お能を鑑賞するときの理解度も違ってくるのでしょうね。
わたしはまだまだ、観に行ってもキョトンとしてます。
謡は某所の「のうのう講座」で「高砂」をかじったきりです。
面白味は少ないけど、おめでたいからと。
そう言えば祖父が披露宴でうなっておりました。
寛容な若旦那が「わたしに習ったと言って披露してもいいから」と
教えてくださいました。きっとそうやって、少しでも一般に
なじみやすく感じてもらおうと努力されてるんですね。
最近ご無沙汰してしまっているのを思い出しました。
ようこそ 書き込みありがとうございます。
お祖父さんお稽古されていたのかな?
以前は結婚式では必ず謡われたものですが、最近のチャペル&レストラン式ではもうすっかり忘れられていますね。今日も専門学校の講師の方とお話ししていて、「結婚式で謡う 高砂や・・」と言っても誰も知らなかったて、世代の断絶を感じたとおっしゃっていました。もうそんな時代になってきたのですね。
いい若旦那ですね。(笑)
ほんと、いつか謡講も東京でやりたいと先生と話しています。その時はお誘いしますのでぜひ来てくださいね。
学生時代に「能楽研究会」なるものにはいっていまして、謡と仕舞をやっていました(喜多流です)。正座がきつかったけれど、謡はすきでした。
卒業とともに縁が切れて、もう20数年やっていませんけどね。
ちょっとなつかしくなりました。
謡と仕舞、学生時代されていのですか、せっかくなのにやめてしまわれてもったいないですね。
たしかに正座はなれないとつらいですね。まして会になると・・舞台には幕はありませんから、しびれて立てなくなると、それが見所から丸見えですからね。謡講はその点襖や衝立・屏風越しですから、しびれても大丈夫。
喜多流は男らしい武ばった舞で良いですし。小さな流派ですが名人が多いですね。京都では喜多流を見る機会はほとんどありませんが、去年の秋、ある所友枝さんの仕舞をみましたが、とってもよかったです。
また思い切ってはじめられたらいかがですか。